描かれた「わらい」と「こわい」展 ─ 春画・妖怪画の世界 ─

会期終了日:2018年11月21日

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 春画と妖怪画。どちらも従来は学術的に扱われることは少なかったものの、近年様々な視点から再評価・再発見の動きが起きつつある浮世絵の題材だ。一見するとこれと言った関連性が思いつかない2点だが、現在細見美術館では『描かれた「わらい」と「こわい」展 ─ 春画・妖怪画の世界 ─』という春画と妖怪画を同時に扱った展覧会が開催されている。「春画と妖怪画、なぜその2つをチョイス?」「それらを「わらい」と「こわい」という相反する感情を通してみる?」「R-18指定の展示!?」と、本展のフライヤーを見た瞬間から突っ込み所が多数浮上し、個人的に大変気になってしまったので会場まで足を運んだ次第である。

 会場に入ると、本展の開催趣旨が説明されたキャプションが目に入る。そこには、人の性を描く「春画」と異形と怪異を描く「妖怪画」は通常全く異なるものとみなされるが、両者の共通点として「わらい」と「こわい」という相反する感情が鑑賞する際に生じるということが書かれていた。つまり、性を誇張して描く春画にはある種の滑稽さとして「わらい」を含む一方、人の死などをはじめとした残酷な「こわい」描写が施され、同様に「こわい」怪異を描く妖怪画にも、時として「わらい」に溢れる人間味や可愛らしさを感じることができるということである。なるほど、確かに春画も妖怪画も目的は異なるかもしれないが、それらにそれぞれ描かれている誇張された「性」と「異形」は、鑑賞者に「わらい」と「こわさ」を感じさせるのかもしれない。では実際にこれらを展覧会においてどのように展開し魅せてくれるのだろうか。

 展示は6つの項目に分かれており、春画と妖怪画をそれらの項目ごとに比較し鑑賞することができた。例えば「復讐する幽霊/退治される妖怪」という項目では、幽霊や妖怪が英雄によって退治されている絵が展示されると同時に、それらと春画との関係性をみることができる。一例をあげると、本項目にて展示されていた『妖怪見立陰陽図鑑』(伝 歌川国芳、肉筆貼込帖)において男を襲う鬼が描かれているが、鬼の角と耳がそれぞれ男性器と女性器の形を模していることから、鬼の不気味さが一層引き立てられている。さらに『友色女酒呑童子枕言葉』(近松門左衛門、墨摺)では、当時の京都の鬼の頭である酒呑童子が女体化されイケメン達に弄ばれることにより「退治」される様子が描かれており、妖怪画と春画の融合を確認することができる。余談ではあるが、現代っ子の私は「酒呑童子」と聞けば『Fate/GrandOrder』に登場するあのエロチックな大人気キャラクターが脳裏に過ぎるため、本作品内にて酒呑童子を女体化し性的対象へと昇華した作者の近松門左衛門に妙な親近感を覚えた。

酒呑童子『Fate/GrandOrder』

 また、「不思議な生き物/おかしな生き物」においては、春画と妖怪画に描かれた奇妙な生き物たちを楽しむことができる。化け猫や分福茶釜といった知名度の高い妖怪が描かれた作品たちはもちろん、葛飾北斎が描いた有名な春画の一つである『蛸と海女』に直接的な影響を与えた『艶本千夜多女志』(勝川春潮、墨摺・半紙本)も展示されており、大ダコと海女との濃厚な絡みが描かれている。ちなみに、タコ×海女は古くから存在する人気のカップリングであった模様で、海女の性器に足を突っ込み「お前の方が良く吸うタコだ!」と大ダコが煽る絵面はため息が出るほど馬鹿馬鹿しく、当時の人々がこの描写を好んだと思うと「あ、日本人全然進化してない。」と心の底から安堵した。やっていることがpixivの触手プレイと同じである。
 その他にも、日本における性と信仰に着目した「おおらかな信仰」では、本展が初公開である妖怪の顔を性器にかたどった『妖怪春画絵巻』(絵師未詳、巻子本)が展示されており、全ての頭が男性器を模した、滑稽ながらも気味の悪いヤマタノオロチを確認することができる。また「わらい/戯れ」においては、当時の女子が身につけるべき教養をまとめた『女庭訓御所文庫』をパロディし、女子が身につけるべき性知識(性器の形や体位など)を記した『女貞訓下所文庫』を見ることができ、当時の人々の卑猥なユーモアを感じることができた。6つの項目ごとに様々な種類の春画と妖怪画が並び、鑑賞者の好奇心をくすぐり続けることができる展示であると言えるだろう。

 しかし、『春画と妖怪画における共通性を、「わらい」と「こわい」によって示す』という肝心の展覧会の趣旨については、残念ながら鑑賞者に伝わりにくいのではないかと感じた。なぜなら、そもそも「わらい」と「こわい」を内包しているジャンルは、春画と妖怪画に限らず数多く存在しているからである。例えば、江戸後期から明治にかけて描かれた事件や人の死を凄惨に描く無残絵には、妖怪も直接的な性描写も登場しないが、その異常な誇張表現において恐怖心だけではなく好奇心をも鑑賞者に与えるだろう。また、歴史上の古典や故事を同時代の人々が理解しやすい題材に託して描いた見立絵においては、刺激的なモチーフが直接的に用いられることはなくても、描かれている暗号を読み解くことで鑑賞者に面白さや恐怖を気付かせることができる。これらに限らず、さらに浮世絵限らずとも、「わらい」と「こわさ」を持つ作品はこの世に多数存在している。そのため、わざわざ「春画」と「妖怪画」における共通点としてあげることは、いささか安直なのではないだろうかという疑念を抱いてしまった。実際に、例えば展示内において春画における「わらい」として紹介されている作品は、先述したタコ×海女や男性器ヤマタノオロチのような誇張された性が描写されたものであり、一方で妖怪における「わらい」を示すものとしては、妖怪画絵巻などゆるキャラのような可愛らしい妖怪が描かれたものが用いられていた。誇張された性による「滑稽さ」と、可愛らしい妖怪が生み出す「コミカルさ」は、はたして同種の「わらい」とみなして良いのだろうか。
 確かに、6つの視点から春画と妖怪画をみるという展示構成は、両者の意外な共通点や関係性を見出すことはできたが、あくまでそれらのモチーフの扱い方などにおいてのものである。両者がそれぞれ持つ「わらい」と「こわい」を完全に同一のものとして扱うこと、また数ある作品の中からあえて春画と妖怪画の共通点として取り上げることは難しいのではないかと筆者は感じた。したがって、展覧会側が見出す「わらい」と「こわさ」を通した春画と妖怪画における特別な関係性をもし示すことができていたのならば、更に深みのある内容となったに違いないと考える。

 だが、多彩な春画と妖怪画を存分に楽しむことができる充実した作品数や、世界初公開である『俳諧女夫まねへもん』をはじめとした貴重な資料の公開という点において、本展は間違いなく今後の春画と妖怪画がより一層再評価される重要な足がかりになるだろう。実際に、私は春画と妖怪画についてそれほど大きな知識や関心を持っていたわけでは無かったが、好奇心を掻き立てられる魅力的な作品たちに心踊らされた。したがって、本展はより多くの人々が興味を抱き、そして学術的な視点で理解を深めることが期待できる展示であった。

おまけ
本展を見た後、私はどうしても気になることがあったため、大学の先輩に以下のラインを送った。

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 春画においてもAVにおいても、誇張されすぎた性表現は「性的欲求を満たす」という当初の目的に、「滑稽さ」や「怖さ」という別の意味合いが付加するという点が非常に面白い。「春画」と「妖怪画」よりも、むしろ「春画」と「AV」との関連性に興味を抱いてしまったのが正直なところである。と同時に、いつの時代においても日本に変態は存在するのだという事実に気がついてしまった。

会期:2018年10月16日(火)~12月9日(日)
時間:午前10時~午後6時
場所:細見美術館

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谷岡輝樂々
総合芸術学科4回生
研究テーマ:中原淳一の「少女らしい」ファッション
朝起きて1番にすること:乾布摩擦
ハマっていること:変体仮名で交換日記
最近やらかしたこと:いっぱいありすぎてわからない