小池一範 宇良神社と浦島明神縁起絵巻

―出品作品「宇良神社と浦嶋明神縁起絵巻」について
 今回のモチーフは、風景じゃないものにしたんです。 展覧会のテーマが、「こころの百景」じゃなくて、「こころの百選」でしょ?結局、風俗とか京都の色んな地域で受け継がれてるもの、場所じゃなくてもありや、と思って。 たまたま伊根と言われて、その時に、浦嶋伝説を描こうと。 あの地域にあるから。宇良神社(浦嶋神社)の浦嶋伝説っていうのがそこにあって。伝説というよりも浦嶋明神縁起絵巻を描こうと。
 これは絵巻だから、絵巻を額の絵、それから自分の考え方で描きなおそうというかな。自分なりに描いてみようという、そういう絵です。

―「こころの京都百選」について
 結構、地域に風俗とか風土みたいなものと美術の、絵の関わりっていうのが大切やと思ってて。こういう機会にそれが出来ると思ったから。
 単に、個人のその思いを表現する絵じゃなくて、美術館の中に自分が描いて飾る絵じゃなくて、風土とかお祭りとか、そこの伝承とか暮らしとかとの出会いの中で、自分がそれを絵描きとしてどうそれに関わるか、ということをずっとしたいと思ってたから。
 この展覧会は、僕にとってはそういう意識です。

―日本画を選んだ理由
 画材的には日本画ではあるねんけど、ちょっと幅の広い画家やと思ってるな。例えばこの作品は、麻に描いてるから、どう考えても絵巻とは全然違う技法で描いてる。
 図像はそのままもらってるけど、描き方は変えざるを得ない。テンペラとかフレスコ(共に西洋画の技法)に近い技法を使うこともあるし、時には油絵に近い天然樹脂を油で溶いたようなものも使う。でもやっぱり水が一番合うかな。水の心地良さってあるよね。
 あと、あの絵の具の持ってる粒子感、絵の具そのものが持ってる表情みたいのも好きやし。
 あとは、日本画やってる人間のリズム感とかタイプとか、ちょっとゆっくりやん。陶器とかも最近手出してるんで、だから日本画だけやってたいって訳ではないけど、一番、自分のライフスタイルにきっと合っているに違いない、という確信はある。ゆっくりやりたい。

―日本画への思い
 最近僕が思ってるのは、絵を描くことが人の生活とか、風俗、風土、考え方、色んな事と密接に、特別なものとしてじゃなくて、普通に関わってる状態、ていうのがやっぱり僕の理想っていうか、好きな状態で。 西陣の図案家の家に育ってるので、親がずっと帯の図案を描いてたっていうのもあって。
 
 自分が感じたことを描くとか、俗に言う個性を出すとか自分の作品というよりは、陶器やと単純にご飯食べられるやん、あぁいうストレートさが、まだ日本画には、日本にいて、可能性があるかなって思う。もう一回、自分はそういう感覚でやりたいです。

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