―出品作品「袖志の棚田 五月の頃」について
棚田、袖志の棚田です。府の人がいくつか候補を出してくれて。丹後半島にはよくスケッチに行くので、そこを選んだんです。 非常に厳しい自然の中で、人が一生懸命田圃を耕してるという場所。
日本海が広がっていく中で、田圃が積み上がってきてるっていう、そういう場所の面白さみたいのがあって。 あれは初夏の頃
で水が張られていて、そこに光が当たっていて、っていう全体の空気感みたいのが絵のイメージにし易かった。だから、全体として絵の構図に見えるっていうところで描きました。作品そのものはひと月ぐらいなんですけども、取材はその前、ひと月、ふた月ぐらい取材に行きました。
―「こころの京都百選」について
京都の作家として、有意義な事だったと思うので、今後もこういう形で続けて行かれれば良いかなと思います。
―日本画を選んだ理由
元々はね、狩野芳崖の悲母観音っていう絵が一番好きだったんですね。
大学に入って日本画で描くようになったのは、憧れの絵があって、そこに惹かれてっていうかたちで。
あとから、日本画の材料っていうのは、実際に触ってみて、非常に面白いっていうか、こういう岩石、天然石を中心にした絵の具っていうのは非常に綺麗だったもので。
それを絵画に使う使ううちに興味も、もっともっと出て来たっていうかたちですね。
小さい時から天然自然物とか、自然科学に対する興味は非常にあって。自然と、日本画の岩絵の具、砂絵の具っていうものについては興味がどんどんと深まってきたんですね。
基本的に、自分としては出来るだけ天然石のものを選んで使ってるんですけども、どうしても色味として天然石では補えないものに関しては、人工物使うんだけども。
実際自分で絵の具を作ったりすることもよくあったりとか。拾って来たり買って来たりした石を、砕いて粒子状にして使うことはよくあります。
やっぱり自然のものを使ってるっていう事に対する、自分の中での納得っていうか、満足感はあるかもしれない。
自然の鉱物と、植物としての紙とか題材に使って、人としての自分の意識が自然を見て絵を描く、っていう全体の循環系というか、総体をよくイメージはしますね。
―日本画への思い
自分が、こういう自然と接する中で、それが「日本画」っていうふうな領域ジャンルに入るっていうかたちで、日本画を意識します.
特に伝統的な流れの中で日本画を意識する事は少ないと思います。